人生の名脚本家は、粋なストーリーを用意している【人生の信じ方】

人生に起こる出来事は、脚本家が準備したシナリオ。
そして、その脚本家は、粋なストーリーを準備しているのです。

この記事の目次

  • 自分の人生の脚本家は、自分
  • どんな風に演じるかは、自分次第
  • 人生の名脚本家を信じてみる

自分の人生の脚本家は、自分

自分の人生のシナリオは、自分自身で選んできています。
ということは、自分の人生の脚本家は、自分自身ということになります。

どんなストーリーを選んできたのか、そこにどんなシナリオや彩を付けていくのか、脚本家は、すでに選んで、この世に生まれ出来ている。

どんな経験をし、何を得て、何を失って、どんな課題を乗り越えるのか。
その中で、どんな人と出会い、どんな人と別れ、どんな人と愛し合ったり、いがみ合ったり、人間模様も描く。
そうして、自分の人生を目的に合った、経験を積むために描いてある。

自分で選んできた脚本なのに、そこに演じるのも自分。
苦しい、辛い、不安、怖い…
そんな思いの場面では、自分が脚本家だなんて、信じられないことでしょう。
ですが、自分自身で選んできた人生だからこそ、そこに生きているし、乗り越える術も持っているのだと、私は思っています。

どんな風に演じるかは、自分次第

私自身も、自分の人生の脚本には、揺り動かされ、その度に悩んだり、不安になったり、笑ったり泣いたりしてきました。
そして、過去には、たくさんのシナリオを必死に生きてきました。

もうダメだからの脱出シリーズ~走り回った27歳の巻~

次女1歳の誕生日、父が突然失踪し、地元で家業である、窯元を引き継ぎました。

サラッと書きましたが、の失踪からです。
普通は、引き継ぐとき、父は失踪ってそうそうないですよね。

社長が倒れたっていうのとまた違う問題が、そりゃ~山のようにあるわけですよ。

(中略)

当時を思い出すと、心が休まらないとかじゃなく息をつく暇もなく、必死に動き回っていた自分が居ます。

ちょうと1歳の次女と、3歳の長女の子育ては母に任せ、走り回った27歳でした。

子供が寝てから帰り、一緒にご飯を食べるのもそんなにできませんでした。
分からなさ過ぎて、忙し過ぎて、もうダメだ~って何度も泣いて投げ出したかった。

(吉野りえアメブロより引用)

参考 もうダメだからの脱出シリーズ ~走り回った27歳の巻~吉野りえアメブロより

※シリーズは、以降3部作です。

私は、この27歳のときから、「もうダメだ~」を幾度も経験し、その度に悩み、怒り、走り回り、必死に歩いてきました。
そして、その度に、いろんな人から助けてもらい、乗り越えてきたと思い出します。

どんな風に感じるのか、どんな風に乗り越えていくのか。
人生の脚本家は自分でも、どう演じるのか、どこでどんなふうにアドリブを効かせるのか、それは、いま生きている自分自身の演技方次第ではないでしょうか。

過去の自分を思い返したとき、ジタバタ生きてきましたが、一つだけ誇りに思うことは、どんな人生のシナリオも、嘆きつつも投げ出すことも、逃げ出すこともなく、ただ必死に向かっていったことです。

そのときは、ただ必死なだけでしたが、自分なりに、脚本の中で、自分らしく演じてきたんだと思います。

人生の名脚本家を信じてみる

人生を重ねていくと、過去のことが繋がっていき、その都度の粋なストーリーが見えてくることがあります。

あのとき、どうしてそうなったのか。
どうして、あの場面に出会うことになったのか。
あの別れがあったのか、あの挫折を経験することになったのか。

そのときは、「なぜ!」「どうして自分に起こるのか…」そう嘆いたかもしれない、その場面が、未来のいまに繋がっていると見えてくる。
でも、それが見えてくるのは、人生のシナリオを疑わず、投げ出さず、自分として演じてきたときにだけです。

人生を疑い、自分の選択を疑い続けているだけだと、自分らしく生きることができないのではと、私は思います。

弱いまま、泣きながらでも歩むからこそ、そのときの感情を味わい尽くし、点と点が見えてきて、繋がった線だったと信じられるのだと思うからです。

自分の人生の脚本家は、自分自身です。
しかも、自分にとって、名脚本家です。
自分らしく生きる、脚本を用意しています。

人生を信じ、自分らしく生きるためには、人生の名脚本家を信じるほかないと思います。
信じた瞬間、粋なストーリーが待ち受けているかもしれません。

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